小説とは面白いか面白くないか、本質的にはいずれかの評価しかなくて感想もとりあえず面白かったか面白くなかったかだけでいいんじゃないかと思っているのだが、この小説は充分面白かった。出版されてこんなにすぐに読むつもりはなかったのだけど、書店に寄ったときに気になったのでつい買ってしまってあっというまに読んでしまった。読み手をどこかしらない世界へ連れて行ってくれる物語性が、いい意味でも悪い意味でも村上春樹的で、安心して愉しみながら読むことができた小説だ。これまでにいちばん近い感覚だったのは「ねじまき鳥クロニクル」を読んだときかと。
表層/深層と象徴の意味探しゲームとして小説を読むほうではないので、この「1Q84」からなんらかの意味や思想を読み解いたわけでないが、読み終わった後に頭の中に残るものがあるとすると、それはリアルとフィクションの境界はとても不確かであるということ。作中でのフィクションとリアルの関係だけでなく、この小説と読み手としてのワタシであったり、この小説の一つのテーマである宗教カルトの虚構性と現実性であったり。その漠然とした関係にあるリアルとフィクションの間をいったりきたりしながら丹念に緻密に構成された小説世界だったというのが、この「1Q84」を読み進めてくぐり抜けてきた後に残されている感覚。
ついでに言うと読みながら a~ha の "Take on me" の PV を思い出した。鉛筆描きの絵と実写の人物が交わりあいながら進行する80年代の音楽ビデオの傑作の一つね。あのビデオで描かれているリアルとフィクションの関係がいろんな意味合いで近いのかなと。
それから、すでに読んだ人たちとなにかを共有するために、細かいところで気になったことをいくつか。まず、最初のほうの章で、主人公の片方が非常階段を下りてきて、資材置き場にたどり着く場面があるが、その風景描写の中に、
屋根の下には、潰れた大きな段ボール箱もいくつかあった。数本のペットボトルと、漫画雑誌が何冊か地面に捨てられている。そのほかには何もない。ビニールの買い物袋があてもなく風に舞っているだけだ。
とあるが、ペットボトルは1984年にそこまで普及していたかな?自分の1984年の記憶をたどってもあまりペットボトルの記憶がないのだが、どうだろう?まあ、ペットボトルに入って売られていそうなコークや炭酸飲料ってもともと飲まなかったから、身近な記憶として残っていないだけか?
あと、この小説の外国語に訳出する時のタイトルはどうなるだろうか?たとえば英語で "1Q84" と表されても "1984" にはつながらないからね。訳者はそれぞれ頭をずいぶんとひねらなくちゃいけないんだろうな。
それから BOOK 3 はいつでるかな?「ねじまき鳥クロニクル」を読んだときの感覚に近い理由の一つは、BOOK 2 の最後まで読み終わった時に感じた、物語がしかるべき形で閉じてないなという感覚が「ねじまき鳥クロニクル」の時に似ていることにある。「ねじまき鳥クロニクル」は第1部、第2部が出版されたしばらく後(手元の「ねじまき鳥クロニクル」の奥付をみると1年4ヶ月後)に第3部が出版されているので、似たような形で BOOK 3 が出るような気がする。1Q84年はあと3ヶ月残っているし、なにより2冊で終わる場合はこれまでほとんどが「上」「下」という構成になっているあたりが気になる。




