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「やってみなければわからない」というのは本当にわからないのか?

仕事をしていると、ときおり「やってみなければわからないです」という発言に出くわす。このフレーズを聞くと、いつも警戒心のようなものが芽生える。ほんとうに「やってみなければわからないのか?」と。

「やってみなければわからない」という発言をもたらす文脈には2種類あると思っている。一つ目は、経験則に照らしても確率的に見ても、結果を推測することがかなわずに、実際にやってみないことには結果が判らない場合である。しかるべき調査と分析をすませて、想定された環境・状況の下でなにかコトを興すときに、最後のピースをはめてみないと全体の形がどうなるか、またはその形ができるまでのプロセスがつかめないような場合である。周辺環境が複雑すぎて、結果やそこにいたるプロセスがシミュレーションできない(またはコスト的に合わない)場合もこのパターンに含まれる。

こういう場合には「やるしかない」というのが結論である。コトを始めて、想定されたシナリオを頭の片隅に置きながら、実際に目の前で起きていることに対応し続けて、結果とそこに至るプロセスから目をそらさないようにするしかない。

二つ目は、どういうコトがどういう展開で今後発生して、結果としてどこにたどり着くのかをあまり深く考えようとせずに、安直に「やってみないとわからない」と言ってしまう場合である。まあ、一種の思考停止と言ってもいい。大抵の場合、「風が吹けば桶屋がもうかる」的な(あるいは「クラウドコンピューティングは世界を変える」でもいいけれど)の因果関係に乏しいけれどいささかキャッチーなバズフレーズをマントラのように唱えているケースが多い。ストーリーとしてイメージするのが苦手、あるいはそのような作業が未経験な場合にこういうパターンに陥りがちである。

で、「やってみたいこと」を共有するために因果関係を一つ一つ確認していくと、矛盾や破綻が見つかったりすることがある。そういう作業を通じて、仮説形成の思考パターンが身につく場合には良いのだが、反対にマントラ化している場合には、そういう不都合な箇所から目をそらしてしまう場合もあるので、やっかいなケースとなることもある。

将来のことは誰にもわからないので「やってみなければわからない」というのは一見仕方ないように思えるが、「やってみなければわからない」と口にすることで思考・活動を停止させてしまうじゃないか?とこのフレーズを聞くたびに感じるのである。

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コメント (7)

ひとしずく:

ちなみに私のあまり好きでない表現は、「I'll do my best.」です。
なんか、とにかく「Yap!I will do it.」ってハッキリ言ってみてくれないかなぁ、って思ってしまう。「あなたの"my best"って、こっちの期待のなんぼほどに値するんかなぁ??」って感じやから、大抵。結果的に出来なかった場合「ほほう、それだけやっても無理なら仕方あるまい」って納得できるパターンが少なく「ほんまにそれがアナタのベストですかァ!」って思えてしまうパターンが多すぎるからだろうな。
「I('ll)try.」ってのもニュアンス的に一歩すでに引いてる気がして弱気で好かぬ。しかも、どうみても「できるやろ!」って内容の事に関して。tryって、まず「自分にはできないかも」って思う気持ちがちょっとでもあるから「やってみる」になるんでしょ?私って厳しすぎ??
近頃は「自分をせき立てて頑張る」て事をしない風潮なんですかねぇ・・・。
「やってみないとわからない」って言うのも、ハッキリとわからなくても推測して意見を述べたり、経験から大体でもいいから憶測したりしてほしいのに、・・・『脳を使う』ことさえも怠慢になってる気がするよねぇ。

Kiyoppy.223:

んー、身に染みます。
今後はもう少し突っ込んで考えよう。。。(^◇^;)

> ひとしずく さん、

"I'll do my best" とか "I'll try" って、結局のところ「善処します」と一緒なんよね。可能な限りがんばる、という雰囲気で。

ただ、"I'll do my best" とか、あと「best effort でなんとかします」といわれた時には「"best" というからには、普段より少しがんばる程度の生温い話ではなくて、普段では絶対に有り得ないぐらいに "the best" と言えるまでやりつくしてよね」と念を押すことはありますね。"best" という言葉はそういう時に使うはずの言葉だからねーw

> Kiyoppy.223 さん、

思考停止の罠は結構強力で、はまりやすいんだと思います(Kiyoppy.223 さんが思考停止がちというわけでないですよ、念のため)。常に考えることを忘れなければいいのですが、なかなか、思考停止の罠も強力ですからねー。

あ、Max Coffee を買ってきましたが、甘そうなので飲む勇気がありません。練乳入りってすごいですな。

takuzotakuzo:

http://blog.novsix.com/2009/02/conditions-of-exhaustion.html
とともにこのPOSTを読むと疲れが感じられるね(笑)。

自分が思考停止をしていることを意識していること(思索の分かれ道にいつでも戻れること)が重要ですな。

ちなみに僕は近頃、僕の思考停止はAyustetyのいう二つ目の分類であると指摘する輩に囲まれており、その包囲網を突破するために--「そうじゃないのよん」、と、一つ目の類型である「周辺環境が複雑すぎて、結果やそこにいたるプロセスがシミュレーションできない(またはコスト的に合わない)場合」であるということを証明する為にコストと時間を割いております。

この証明、もう少し簡単にQEDに辿りつかないかなあ。

> takuzotakuzo さん、

「『周辺環境が複雑すぎて、結果やそこにいたるプロセスがシミュレーションできない(またはコスト的に合わない)場合』であるということを証明する為にコストと時間を割いております。」

これ、よく起きることですな。「シミュレーションするのにコストがかかる」と言っているのに、「なぜシミュレーションできないか証明してみろ」という、導き方を間違うと時間の無駄遣いを招いてしまうような問いかけの構造というか。

僕の場合には、「こんな多次元関数、解けまへん」とあっさり負けを認めて、あとは微動だにしないようにしてます。ずうずうしいヤツですな。

ところで、来週そちらに行きますので、よろしく。火鍋以外を希望です。

takuzotakuzo:

いや、だから、それをやると第二類型の「思考停止」だと思われて、支持を得られなくなるので困るのだぁ。ま、別にいいっちゃいいんだけどもね。
 いらっしゃるとは聞いてます。そちらにはお座敷たくさん掛かるでしょうから、調整はおいおいね。火鍋は俺もパスなりよ。。。

> takuzotakuzo さん、

「第二類型の『思考停止』だと思われて、支持を得られなくなるので困る」

「この多次元関数、解けまへん」ということを証明しなくちゃいけないと。もっともな話ですな。でも、やっぱりそれって時間の無駄遣いだよなー、とも思うけれど。

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2009年2月21日 13:54に投稿されたエントリーのページです。

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