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「アイ・イン・ザ・スカイ」、「チーム・バチスタの栄光」

チームにおける個人の判断・行動の許容度は仕事によって違うものだ。

「アイ・イン・ザ・スカイ」(原題:『跟蹤』、米国版は"Eye in the Sky")は香港警察の監視課「尾行役」を舞台とする香港の映画。一方で「チーム・バチスタの栄光」はバチスタ手術という心臓手術チームを舞台とする日本の映画。いずれもチームで動くのだが、尾行の場合にはリーダーに指示をうけながらも実際の判断・行動は現場にいる個人の臨機応変さに依存するのに対し、心臓手術の場合にはそれぞれの役割が専門化されており、その役割の範疇で決められたやり方で次の行動を判断していく。前者が collaboration 的であるのに対し、後者は orchestration 的とでも言えばいいのか。どちらがいいというものでもなく、プロセスの内容と対象の種類によって個人の判断・行動の許容度は変わってくるのだと、ふと思った。

映画としては「アイ・イン・ザ・スカイ」の方が楽しめた。脚本がシンプルでしっかりしているので安心してみていられる。一方で「チーム・バチスタ……」はベストセラー小説をベースにしてしまったために冗長さが目立つ。この映画に限らず、ベストセラー小説の映画化における冗長さ、というのはどうしても避けがたい。メインプロットを生かすためにどこまでサブプロットを残す/捨てるはやはり難しい。特に日本の小説の場合には、情緒的なサブプロット(プロットというよりシーン)が多いため、2時間程度の映画にまとめるためにそぎ落としていくと、ちぐはぐで冗長な感じを受ける映画に仕上がる傾向が強いように思う。

「アイ・イン・ザ・スカイ」は尾行役の人達(脇役)の尾行シーンのカットがとても印象的だった。雨の中を傘を差してじっと見ていたり、建物と建物の間に隠れていたり、客待ちのタクシーに扮していたりと。香港という非常に雑然とした街のなかで人の跡をついていく尾行役という存在を身近に感じさせてくれた。

一方で「チーム・バチスタ……」はバチスタ手術に失敗した後に竹内結子が号泣するシーンが記憶に残る。あのシーンは映画という Fictional なものと忘れてすんなりと受け入れることが出来た。残りは Fictional に感じられるシーンが多かった。なんというか、Fictional なものを感じさせずに映画の世界に誘うための努力のなさというかあきらめ感を日本の映画を見るたびに感じるが、この映画でもやはり同じように感じたのはもしかすると観る側の問題なのだろうか?

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コメント (2)

原作の映像化は賛否両論ですね~

見る人の窓口は広がるけど、内容が薄まってしまう印象は否めないですね。

ということで、僕はたいてい原作派です。

あと、バチスタ手術関連の物語は、「医龍」が面白いです。こちらもドラマ化されていますが、僕はマンガ派ですw。

> ya2kanta さん、

オリジナル脚本ではなく、小説などが原作の映画は結構ありますよね。オリジナルも素晴らしく、映画も秀逸というのは「ゴッドファーザー」と「ショート・カッツ」につきるかな。

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2008年04月19日 09:35に投稿されたエントリーのページです。

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