日が経ってしまった感がありますが、マイミクの日記に触発されググって知ったのは、箱根駅伝では最近(1997年)まで給水が認められておらず、認められてからも15キロ地点での一度の給水だけ、というルールだったということ。
途中棄権と給水OKのルール改正
http://www.yomiuri.co.jp/sports/ekiden2007/archive/column/04.htm
42.195キロを走るマラソンと違って、駅伝では長い間、選手への給水はルールで禁じられている「助力行為」に当たるとして認められていなかった。給水がOKになったのは、1997年の第73回大会からだ。きっかけは、その前年の72回大会で4区を走った山梨学院大の中村祐二選手と、神奈川大の高島康司選手の二人が相次いで走行不能に陥り途中棄権になった事件だった。<中略>
現在では、東日本縦断駅伝や九州一周駅伝などを含む多くの大会がそれぞれの方法で給水を実施しているが、箱根駅伝では、車で伴走する審判などの競技役員やコーチたちが、選手の体力消耗度や気温の上昇などを勘案して、給水を実施している。
史上初3校棄権…箱根駅伝に不名誉記録
http://www.daily.co.jp/general/2008/01/04/0000789759.shtml
9区で極度の脱水症状を起こした住田直紀(大東大)に続き、10区で荒川丈弘(東海大)が右足首のじん帯を痛めて棄権。3日の5区・小野裕幸(順大)とともに史上初めて3校が途中で棄権した。96年の神奈川大と山梨学院大を上回る異常事態。線路に足を取られた荒川は事情が異なるが、残る2例は脱水症状が原因だった。往路後の監督会議では、15キロ地点での給水に加え、任意にもう1回、摂取出来ることを承認していた。
会議では、順大の仲村明監督が「水だけというのは改善できないか」と給水の中身の改善も要望した。さらに、9区の山田翔太に関して「左の耳の感覚がおかしい。聞こえない」と、鈴なりの沿道からの声援が原因とみられる耳の不調と、アドバイスが伝わりにくいもどかしさも訴えた。
長距離レースという観点で見ると考慮不足な大会運営方針。再発を防げなかったという見方をすると、想像力不足といわれても仕方ない。共催である読売新聞社長の、
箱根駅伝、記録更新の裏に給水問題が…関係者が警告
http://news.goo.ne.jp/article/fuji/sports/320080104005.html
共催の読売新聞グループ本社の内山斉社長は、棄権した選手たちが必死にたすきをつなごうとしたことに触れ、「根性に感動した」と賛辞を贈った。さらに黒のスーツにオレンジ色のシャツ、靴下という自らの装いを「巨人カラー」と説明し、「彼らのように挫折にめげず頑張れと巨人に言いたい」と笑いを誘った。
などという悪ふざけを見る限りでは、想像力不足を超えて、伝統の維持と思考停止を勘違いしているとしか思えない。
箱根駅伝に参加しているいくつかの大学にはスポーツを科学的な対象とする学部や研究機関が、次のような感じで存在している。
・早稲田大学 スポーツ科学学術院
・順天堂大学 スポーツ健康科学部
・大東文化大学 スポーツ・健康科学部
あと、箱根駅伝にはほとんど出ないけど、他の大学にもスポーツ医学をテーマとする学部や研究機関がある。
・慶応技術大学 スポーツ医学研究センター
・筑波大学 スポーツ医学研究室
こういうところでの研究の一環として、科学的なアプローチによる長距離レースにおける給水のガイドラインぐらいつくれないのか。
週に一度走るかどうかの場末ランナーだが、今回、箱根駅伝の現実の一部を知って、心底あきれた。箱根駅伝のことを話題にするのを避けたくなるな、こりゃ。


根性に感動するも良し。科学的根拠以上に「挫折にめげず頑張れ」と無責任にはしゃぐも良し。だって、紳士な球界の盟主なんだもの。違う球団だけど、なんだか監督時代の鈴木啓二と野茂の確執や松井のFA時の意味不明な巨人主導のヤンキースへの移籍先指定を思い出すエピソードだなこれって。
今までが『こう』であったので伝統的に『こう』であって『こう』あるべきに合わないのは、根性の問題だと。
きっとこれから2,3年のうちに大学陸上部にもヴァレンタインみたいな監督が出てきて『不要に体力を消耗するだけの毎日のトレーニングは不要だ』系の科学的トレーニング派と、『彼らは日本の伝統と手法を理解していない。不適切だ』系の重鎮派との抗争が顕在化し、やがて野球、ラグビー、相撲などの日本文化との融合が顕著なスポーツへ科学派と根性派の論争が拡大していくのであった...(妄想)
確かに「たすきがつなげない⇒リタイア⇒ドラマ」とイメージを与えている感が強い気がします。ニュースでは、勝利優先の各学校の姿勢に疑問視をしていますが、アマチュアスポーツにまでエンターテイメントの幅を無理やり広げようとしているマスコミにも根本の原因がある気がします。
> takawamu さん、
問題は、なにが正しいのかについての論争でなく、システムが学習できるかどうかじゃないのかと。最低限、環境や状況の変化を認識できないのは根性ではなく、ただの脳死状態にすぎないんじゃないかな。
> ryuryu さん、
各校の姿勢について、スポーツである以上は勝利優先でもよいとは思うのですが、勝利を優先するのであれば競技を実施する環境をよりよいものに変えていくように努力することが必要じゃないのかと。
そうなんすよね。正しいかどうかの2項対立の問題じゃあなくて、伝統であれ習慣であれ『変化の認識』と『認識に基づく改変・改善』が出来るかですね。
伝統を自負する業界や団体や組織は、プロセスや手段を含めて『だってそのやり方しか知らないんだもん』と言えないんだろうけど、少なくとも聞く耳は持つべきですね。
> takawamu さん、
まあ、要するに誰のための競技なのか、という点につきると思います。少なくとも伝統のための競技ではないと思うので、ね。