阪神・淡路大震災から13年が経ったのか。最近のような気もするが、ずいぶん前のような気もする。
あの頃、大阪市内に住んでいました。学生時代を阪神間ですごしたので、知り合いの多くが被災しました。致命的に被災した人がいなかったのは幸いでした。また、震災発生後3日目には三宮の街にいました。壊滅的に破壊された街の姿や、魂の抜け殻のように放心してうろつく人の光景はずっとずっと後を引いています。少しでも多くの人が救われて、癒されていることを願うばかりです。
また、ここにも特集されてるけれど、あの時にインターネットの潜在能力を実感的に知ったのでした。インターネットによって安否を確認した知人・友人がいます。あの経験がなければ、インターネットというものの理解がずいぶんと違っているかもしれないと思う。
毎年、1/17 と 9/11 は自分の誕生日以上に時の流れを感じる日だと感じるのです。


携帯とかネットとか、今みたいに普及する前でしたが、情報を伝達するツールが多様化することで、安心を早く届けられるんだと実感できました。
学生時代に見慣れた風景が一変してしまったショックは今でもリアルに焼き付いています。それでもayustetyさんのおっしゃる通り、町も人も少しずつ癒されていって欲しいものですね。
> mamirrific さん、
関係ないようにちょっと聞こえるけど、あの時の「公衆電話はつながりやすい」という情報伝達はいまとは違う情報伝達だったろうと思います。Google も 2 ちゃんもなかったわけだしね。
しかし、東京にもくるんだろうなぁ。やだなあ……
記憶するべき過去じゃあなくて、生きる意味とかこれから何をする?って事を考える大きなきっかけだった事は間違いない。
その2週間程前に会った従兄弟が1日以上瓦礫に埋まって救出待ちだったり、数週間後に後輩を訪れて歩き回った西ノ宮界隈の変わり様はリアルすぎてリアルじゃあないと言うか。
そうそう、前々日に羽田空港で友達と待ち合わせですっぽかされて、タクシーで移動中に前日に日付が変わった辺りで後続車にカマを掘られて人生初の救急車体験をしたのが1/16。
で、その日に「ついてねえなあ」なんて思いつつ森之宮の家に帰って、「明日仕事行きたくねえ」なんて思ってたら、それどころじゃあない状況に陥った事を思い出した。でもってその日の朝7時位に東京方面の同期から安否確認の連絡をもらったのは、自宅固定電話じゃあなくてPHSだった記憶がある。
> takawamu さん、
なるほどね。私にとっては、メディアの伝達能力の限界をクリアにみせてくれたイベントとして意味があったなあ、そういえば。
テレビなしの生活なので、震災の日の午前中は起こっていること(あるいは起こったこと)をよく分かってなかった。しかし、昼過ぎに食い物を調達しに行ったスーパーマーケットにあったテレビをみて結構大変なことが起きてると認識したわけです。
でも、3日後に現地に行ってみると、テレビで流れているものはまったく違うということがわかった。実際の現場に降り立ってみて、メディアの伝達能力には限界があって、未知のイベントはその限界点の範囲内でしか伝わらないんだな、と直感的かつ体験的に理解したわけです。
というわけで、最初は起こっていることをちゃんと認識してなかったので生きる意味についてはあんまり考えてなかったかも。もしかして、冷ややかな人間なのか>オレ……