空気の読み方は東京と大阪で違う

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3人以上のグループでの雑談の場合には、話し手とそのパートナーではない、聞き手という存在がいることになる。A さんと B さんが話している場合には、C さんは聞き手である。

1対1の会話と、3人以上のグループによる雑談は、本質的に異なるものなのでは

ともかく、3人以上のグループによる雑談に入っていくというのは、1対1の会話とはまた別の独立したスキルが要求されるということだ。

雑談に入ってく能力も、もちろん「コミュニケーション能力」だとは思うのだが、意思を伝達するのとは違うし、相手のことを考えるというのとも違うのではないか。

どちらかというと「空気読め」みたいなもの。“みんな”がどう思っているかを察するということ。

この聞き手をどう満足させるかが「空気読め」である。あんまり腑に落ちるような話題の展開はいけない。雑談が止まってしまう。また、追い切れない話題の展開もいけない。これも雑談が止まってしまう。なんとなくそこにいる人たちの多数が拾ってくれそうな、そして別の話題に広がりそうな領域に展開できると空気が読めていて、そこはかとなく皆が納得する。

で、この雑談における展開は東京と大阪では違うように思う。大阪の場合には、聞き手に突っ込ませることが雑談における前提とされている。釣り気味で多少破綻してても適度にスキがあれば、聞き手は突っ込んでくる。むしろツッコミが頻繁な方が雑談としてはおもしろいことが多い。この動き、パス回しにカットインしていくサッカーの練習のような感じ。

一方、東京の場合はその場に求められている共通認識から逸脱することがあまり許されない。聞き手の姿勢は自らの積極的な介入ではないことが多い。このため積極的な介入を前提とする話題の展開(大阪的展開)をすると、追い切ることができずに、「空気読め」となる。聞き手にうまく追わせるためには、微かなずらし方・距離感で話題をハンドリングする能力が期待されている。カットインではなく、ボールのハンドリングを巧みに変えていくパス練習のような感じである。

と、上記のエントリを読んでいて、大阪から東京に出てきた頃にとてもとまどったことを思い出した。

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このページは、ayustetyが2007年12月31日 12:04に書いたブログ記事です。

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