物語の中に出てくる風景や光の加減、食べ物や風の香りなどをうまく想像しながら読み進めるためには、ある程度の経験が必要なのかも知れないと思いつつ、この本を読みました。
昨年の秋、年末のドイツ旅行に向けてこの小説を手にいれました。しかし、よくあることですが、最初の数ページをぱらぱらと眺めただけで放ってあったのです。旅行からはや4ヶ月が経った今日、まとまった時間ができたので、午後はのんびりとこの小説を読んですごしました。
この小説のキーワードの一つは、タイトルにもある「カレーソーセージ」です。カレーソーセージと言われても、見たこと、食べたことがないとピンとこないですよね。僕もこの本を手に入れたときには何のことだかまったくわかりませんでした。小説の冒頭部分にあるカレーソーセージの作り方は次の通りです(白ソーセージ云々というのは、ミュンヘン名物の白ソーセージのことを指しています)。
ほらごらん、と彼女は言い、熱くなったフライパンにカレー粉を少しふりかけ、それからナイフで子牛のソーセージを輪切りにする。白ソーセージなんて、気色悪い食べ物だねぇ、おまけに甘いカラシをつけるときてはね。ああ気持ち悪い。彼女はこれみよがしにうううっと言って体を震わせると、ケチャップをフライパンにぶちこみ、かき混ぜ、黒コショウを少し加えて、それからソーセージの輪切りを周囲に細かいひだのついた紙皿に移す。これがまともな食べ物ってもんだよ。風に関係があるんだ。ほんとだよ。鋭い(シャーフ)風には辛い(シャーフ)ものがいいんだ。
このカレーソーセージは、ほとんどの人が1950年代後半のベルリンで生まれたとする説を支持しているようなのですが、「僕」は1950年代以前にハンブルグで生まれたと考えています。この「僕」がカレーソーセージの生みの親であるブリュッカー夫人(レーナ)を訪ねるところから、この小説ははじまります。そして、ブリュッカー夫人(レーナ)が終戦直前の1945年に一人の兵士を家にかくまうところから、カレーソーセージの誕生にまつわる秘話とレーナの人生、そしてドイツの敗戦と復興が静かに語られ始めます。
小説としては、享楽的なところはなくて、静かで折り目正しい雰囲気を漂わせながらも人生における歪みも垣間見せていて、あまり天気のよくない平日の昼間に読むにはとてもよかった。どこでどうつながったのか判りませんが(時間軸の設定が似ていて、恋愛と呼ぶには多少違和感がある感情がテーマの一つになっているあたりかな)、村上春樹の『国境の南、太陽の西』を思い出しました。
最後になりますが、カレーソーセージというのは、こういう食べ物です。一つ目はミュンヘンで、二つ目はフランクフルトでいただきました。両方とも作っているところを見たのですが、この小説の冒頭で見られるような作り方ではありませんでした。ハンブルグでは別の作り方をしていて、それが取り上げられているのかもしれません。
これらを食べつつ、冬の寒いドイツの街をうろうろしていたので、この小説に出てくる風景や光の加減、そしてカレーソーセージの味をうまく想像することができたのだろうと思います。小説をうまく読むには、ある程度の経験が必要なときがありますね。
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予想外の展開、大人の恋
長く効く麻薬みたいな。
これからも獲得できないもの、これまで失って来たもの。






