今日は年度末最後の日とか、たまってた仕事をようやったあらかた片付けたとか、来週は出張なのでいろいろ準備があったとか、夕方から「ソフトバンク、ボーダフォン買収で幕が上がる - 120兆円情報通信産業の波乱の行方」というセミナーに時間を間違えつつも行ってきたとか、その後セミナーに来ていたシリコンバレー繋がりの友人とメシを食いにいったとか、いろいろあった一日である。
それぞれについて書きたいことはたくさんあるのだけれど、でも、なんとなしに、今日読み終わったこの本の感想を書くことにする(書きかけだったから、というのが主な理由)。
新潮社 (2005/03/26)
売り上げランキング: 733

何が真実であるのか?
途中での感想ですが
こういう才能を無駄にしてはいけないamazon.co.jp の書籍レビューは的外れな煽り系ばかりに見えるけれど、「出版社からのコメント」が比較的まともなので本書の紹介として引用してみます。
1991年ソ連消滅。エリツィン大統領の台頭から、その後の大混乱の時代を経て、プーチン氏への政権委譲へと続く90年代激動のロシアを縦横無尽に駆け回り、類い希な専門知識と豊富な人脈を駆使して、膨大な情報を日本政府にもたらした男、それが元主任分析官、佐藤優だ。2000年までの平和条約の締結と北方領土の返還という外交政策の実現を目指して、ロシア外交の最前線で活躍していた彼は、なぜ「国策捜査」の対象となり、東京地検特捜部に逮捕されされなければならなかったのか? そもそも、検察による「国策捜査」とは何か?
さらに、鈴木宗男代議士による外務省支配の実態とは? 小泉政権誕生の「生みの母」とまで言われた田中眞紀子外相の実像とは? 宗男VS.眞紀子戦争の裏側で何が起こっていたのか──。
512日にも及んだ獄中で構想を練り、釈放後1年以上をかけて執筆された、まさに入魂の告白手記。
この本を読みながら考えていたキーワード群は主に2つあります。
一つは「プロフェッショナリズム」とか「職業倫理」というもの。上記のレビューにも「90年代激動のロシアを縦横無尽に駆け回り、類い希な専門知識と豊富な人脈を駆使して」とあるけれど、この本を読んでる限り、佐藤氏の仕事っぷりはこのレビューの表現どおり。一言で言うと、「地アタマ」のよい、ものすごく仕事ができる人であるということ。分析官としての仕事や、拘置中の検察官とのやり取りを通じて、その職人的な仕事っぷりは非常に印象に残ります。
しかし、氏の経歴は自らこう記しています。
私の経歴は外交官としてはちょっと変わっている。一九六〇年東京生まれであるが、育ったのは埼玉県大宮市(現さいたま市)だ。県立浦和高校を卒業した後、京都の同志社大学神学部と大学院で組織神学を学んだ。具体的にはチェコスロバキアにおける共産党政権とプロテスタント教会の関係を研究テーマにした。八五年に外務省に専門職員で入省した理由も、ほんとうのことを言うとチェコ語の専門家となり、チェコの民族思想と神学を研究したかったからだ。しかし、外務省からはロシア語を学ぶことを命じられた。外交官の仕事を始めてみるとそれはそれなりに面白い。この仕事を一生続けてもいいと思うようになった。
外交官としてよりも専門分野を追求するために、といささか違うものを目指して始まったキャリアなわけです。そういう人が外交官として仕事ができる/仕事をするためのベースになっているものが何か、というところに結構興味がそそられます。職人気質の人は、何をやっても職人気質で物事を片付けるといってしまえばそれまでですが、それだけですまないこともあります。
512 日にわたって拘留されている間、佐藤氏は自らの立てた内的なルールに従いつつ、まったく別のスキームとルールで進められている「国策捜査」に相対していきます。そのくだりは本書の肝の一つであり、また、うまく説明できそうもないのでここで説明することはしませんが、その一連の(といっても 512 日間です)対応の根底にあるのは、高い「職業倫理」というか「プロフェッショナリズム」なんじゃないかと。
そのことを感じつつ読んでいたのは、冒頭で、佐藤氏の獄中での回想として、モスクワで親しくしていた政治犯のこういう言葉を挙げていたからかもしれません。
強い者の方から与えられる恩恵を受けることは構わない。しかし、自分より強い者に対してお願いをしてはダメだ。そんなことをすると内側から自分が崩れる。
もう一つ考えていたことは、最近とんと話題に出なくなった「ライブドア」事件との関係です。本書での東京拘置所の生活の描写から、今の堀江氏の状況に思い至るのもさることながら、同じ「国策捜査」である「ライブドア」事件と並べてみた時にどうよ、と。
本書では、佐藤氏、鈴木宗男氏が関わった一連の事件は「国策捜査」であり、その意味は佐藤氏を担当した西村検察官のこんな言葉で語られています。
「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです」
そして、佐藤氏は、自らが関わった事件の意味を、こう読み解いています。
現在の日本では、内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換、外交における地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムへの転換という二つの線で「時代のけじめ」をつける必要があり、その線が交錯するところに鈴木宗男氏がいるので、どうも国策捜査の対象になったのではないかという構図が見えてきた
ここから少し読み進めると、こう分析しています。
内政上の転換の基礎となる「ハイエク型新自由主義モデル」と「ヘーゲル型有機体モデル」(=排外主義的ナショナリズム:引用者註)は基本的に両立できない。なぜなら、ハイエク型新自由主義モデルでは、究極的に外部に対する「窓」を持たない個人が基礎単位となるのに対して、ヘーゲル型有機体モデルでは個人ではなく民族や国家が基礎単位になるからである。だからヘーゲル型有機体モデルでは、日本国家(国民)、中国国家(国民)、アメリカ国家(国民)を基本に論理を組み立てる。一方、ハイエク型新自由主義モデルでは、強い者が日本人である必要性はない。規制緩和は外国人に対しても完全に開かれている必要がある。そしてこの新自由主義モデルを徹底すると国家も民族も必要なくなる。
「ライブドア」事件が行き過ぎた「ハイエク型新自由主義モデル」を断罪するために「作り出された」のだとしたら、残すところは排外主義的ナショナリズムだけか!というのはあまりに単純すぎる(笑)。というのはさておき、この2つの事件を並べてみるだけでも、日本経済は、数字的にはある程度復活したものの、完全に新自由主義モデルにシフトしきれず、どこかに悩みと迷走感がこもっているのだと。
外交の現場と外務省の実態、検察による取調べ、鈴木宗男と田中眞紀子の戦いの意味などなど、どこから見ても、読んで損がない非常に面白い本でした。



